戦国時代織田信長に嫁いでいた濃姫。
織田信長の妻という事で人気があり様々な場面で登場することや名前も聞くことが多いですが、大河ドラマ「どうする家康」ではまだ濃姫のキャストの発表、登場はしていません。
ですが今後濃姫が出てくる可能性は十分にあると思います。
そもそも濃姫の歴史自体詳しいものが残されておらず謎多き女性です。濃姫という名前も本名ではなく名前すらも史実には詳しく残っていませんでした。
しかし織田信長の正室として強く生きていた女性とも言われておりとても人気がある女性です。
今回は今後、濃姫が大河ドラマ「どうする家康」で登場する可能性を考察していくのと、濃姫の歴史、何故人気があるのかについて詳しく解説していこうと思います。
「どうする家康」濃姫は出てくるの?
では早速、「どうする家康」における濃姫について解説しますね。
濃姫は登場しているのか?
残念ながら大河ドラマ「どうする家康」では濃姫はまだ登場していません。
とても魅力的な人物なので個人的には出てほしかったです。
濃姫が今後登場する可能性はあるのか?
徳川家康がメインの話なので出てくるとしても徳川家康の妻や、徳川家康に関係している人物や近い人物のほうがでてくる可能性が高そうです。
ですが「どうする家康」の全体相関図を見た際、徳川家康の関係者から出てきており。
まだ織田勢の人物が全然登場していないので今後織田勢の話が深掘りされればでてくる可能性があると思います。
織田家のキャスト
織田勢は織田信長の親子である母・五徳、父・織田信秀そして妹のお市は出てきています。追加キャストも発表されているので今後キャストが発表されれば十分にあると思います。
ただ豊臣家や北条家、武田家も出てきていない人物がまだまだ多いので濃姫が出てくると思われる詳しい時期はまだわからないです。
濃姫の一生と父・斎藤道三について
謎多き濃姫ですが、現在分かっていることを解説しますね。
濃姫の生まれ
濃姫は天文4年(1535年)の生まれだとされています。
出身地は美濃国(岐阜県)で、濃姫と呼ばれたのも美濃国の名前から来ています。
父は斎藤道三、母は小見の方(おみのかた・こみのかた)です。
織田信長と結婚する前に濃姫は一度結婚をしていた
濃姫は織田信長に嫁いだことで有名ですが、織田信長と結婚する前に政略結婚をしています。
濃姫は織田信長に嫁ぐ前美濃国の守護である土岐 頼純(とき よりずみ)の正室として嫁ぎますが、一年程で夫が戦死してしまい実家に戻っています。
その時元々土岐家のほかにも織田家との縁組も約束していました。
斎藤道三は織田信長の父、織田信秀と戦いがずっと続いており、和睦を望んだ織田信秀が濃姫との縁組の約束を催促し織田信長と結婚することになったそうです。
濃姫の両親である斎藤道三と小見の方
斎藤道三は下克上大名と言われており、名もないところから美濃の大名にまで出世した人物です。
斎藤道三はとんでもない人物で、実は9回も名前を変えており、変えるたびに出世しています。
1回目の名前 峰丸 | 斎藤道三は武士の家計でしたが道三の父が浪人しており山域で峰丸(道三)は生まれます。 |
2回目の名前 法蓮房 | 11歳の時に妙覚寺で法蓮房という僧侶になる。 |
3回目の名前 松波庄五郎 | 還俗し松波庄五郎と名乗る。 |
4回目の名前 山﨑屋庄五郎 | 油問屋の娘と結婚した際に山﨑屋庄五郎に名前変更。 |
5回目の名前 西村勘九郎正利 | 油問屋に勤めていた際、漏斗を使わずに銭の穴に油を通す芸が大ウケし行商が大成功しました。その時芸を見ていた土岐家の武士に「武芸に力を入れれば立派な武士になれる」と言われ武芸に励み槍と鉄砲の達人となり武士になる。その後西村勘九郎正利に名前を変更。 |
6回目の名前 長井新九郎規秀 | 斎藤道三は武士になる際最初に仕官してもらった恩人(長井長弘)を邪魔者として討ち取り、長生の跡を継ぎ長井新九郎規秀に名前を変えます。 |
7回目の名前 斎藤新九郎秀龍 | 美濃の守護代が病死し新九郎は後を継ぎ斎藤新九郎秀龍と名乗ります。 |
8回目の名前 斎藤新九郎利政 | 斎藤新九郎秀龍と名乗ったが何故か斎藤新九郎利政に改名します。 |
9回目の名前 斎藤道三 | その後出家し斎藤道三と名乗る。 |
このように斎藤道三は名前を変えるたびに下克上を果たしている人物です。合計9回もの下克上をしています。
そしてその下克上の裏には斎藤道三の行動力と頭脳が現れています。
戦国時代でこのように下克上を果たす人物はそういないと思いますし、そして何より恩人でも目的のためなら手段を選ばないところを見ると相当な冷酷さ非情さを兼ねそろえた人物だと思います。
一方、濃姫の母である小見の方は、明智家の出身で明智光秀の叔母にあたると言われています。
濃姫と明智光秀は従兄弟の関係になるのですが、明智光秀の出生も解明されていない点が多く正確な続柄は確定していませんが親戚だったと言われています。
小見の方は明智光継の娘と言われており、もとは土岐家の守護国であった美濃に斎藤道三が勢力を拡大し、明智光継は斎藤道三に従属しました。
その時に小見の方は斎藤道三に人質として送られたそうです。
斎藤道三とのエピソードはそこまでなく小見の方は信頼関係でつながっていたのではないでしょうか?
濃姫の最期
濃姫の最期は今現在でも解明されておらず議論されています。仮説などが多くその説のほとんどが確実性を持つものではありません。
個人的に一番有力な説だと思うのは濃姫が病気などで早く亡くなってしまったという説です。
理由としては織田家の公式行事などに濃姫の記述がないことと、そもそも文献があまり見つからない理由として長い間織田家にいなかったのかもしれないと思ったからです。
今後濃姫に関連するものが見つかれば濃姫歴史の全貌が明らかになるかもしれません。
濃姫の名前・性格・織田信長との関係は?
ではもう少し詳しく、濃姫の名前の謎や性格、織田信長との関係をついて解説しますね。
濃姫の名前
濃姫の名前は美濃から嫁いだ姫という意味で呼ばれていました。
そもそもこの時代の女性は本名が分からないことが多く、その理由は出身地などで呼ばれてしまうことが多かったからだそうです。
実を言うと、濃姫の本名は帰蝶だともいわれていますがこれも確証はありません。
帰蝶という名前も美濃国諸旧記という書物の中に記されたもので、この書物は創作で濃姫の本名という確証は得られてないようです。
濃姫は武功夜話という書物では「胡蝶」という名前で呼ばれており、これに関しては帰蝶を胡蝶に間違えたのか又は逆か、という指摘もされています。
ただ武功夜話の書物自体が偽物と言われている説もあるので、結局本名の確証は得られていません。
美濃国諸旧記には鷺山殿とも呼ばれている記述があり、こちらは濃姫が鷺山城から織田信長のもとに嫁いだので鷺山城殿と言われていたらしいです。
この説は昔の習慣によくある話だったので有力な説だともいわれております。
濃姫(のうひめ、のひめ) | 美濃からきた姫と言う意味でつけられた名前 |
帰蝶・歸蝶(きちょう) | 美濃国諸旧記に記されていた名前 |
胡蝶(こちょう) | 武功夜話という書物に書かれていた名前 |
鷺山殿(さぎやまどの) | 美濃国諸旧記に記されており濃姫が鷺山城から信長に嫁いだのでそう呼ばれている。 |
調べてみた結果、結局本名は断定できるものはありませんでした。
ですが個人的には濃姫が一番好きですね。胡蝶も響きがきれいですが、織田信長の妻なので濃姫のほうが何となくしっくりきます。
濃姫の性格
濃姫の歴史はとても少なく謎が多い女性ですが、濃姫の性格が伝わってくる話が一つあります。
濃姫が織田信長に嫁ぐ際、濃姫の父である斎藤道三から「もし信長が何か企んでいたのなら、この刀で信長を刺せ」と伝えたそうです。
濃姫は「分かりました。しかし何かあったら父を刺すかもしれませんね」と言ったそうです。
このような話から推測すると、もしかしたら濃姫は気の強い性格だったのかもしれません。
よくドラマやゲームでも強い女性として演じていたり、描かれていたりするので織田信長の妻となると、強い女性でなければ務まらなかったのかもしれませんね。
濃姫は織田信長に好かれていたのか?
濃姫と織田信長の関係について個人的に気になったので調べてみました。
元々濃姫は同盟の証として織田家に嫁ぎました。
濃姫と織田信長は恋愛をして結婚ではなく、親の都合で決められた政略結婚です。
濃姫に最初恋愛感情はなかったと思われます。
織田信長にも濃姫だけではなく多くの女性がいると思いますが、織田信長の女性関係のエピソードはありませんでした。
特に濃姫とラブラブだったというエピソードも見かけませんでした。なのでラブラブや仲が悪いというわけではなくどちらかと言うと信頼関係のほうが強かったのかもしれません。
「どうする家康」濃姫はでてくるの?濃姫の歴史について徹底解説!まとめ
今回の記事をまとめると
- 「どうする家康」で今後濃姫が出てくる可能性は十分にある。
- 濃姫は政略結婚に使われていた。
- 濃姫は気の強い性格で織田信長とは信頼関係で繋がっていた。
という事が考えられました。
「どうする家康」は様々な豪華キャストで作られています。もし濃姫がでたら誰が演じるか気になるところです。
濃姫だけではなく他の歴史上の人物も調べてみると面白い発見があるかもしれませんね。