皆さんの町内やマンションには回覧板は存在しますか?
私の町内には回覧板が存在します。
我が家は傾斜地に立つため、家から出るのにも隣家に行くのにも階段を20段くらい上り下りしなくてはいけません。
回覧板を回しに行くのは非常に労力が必要ですよね。
そんな回覧板ですが皆さんは手渡ししますか?
それともポストに投函しますか?
私は普段はポスト投函で済ませて急ぎと言われたものだけ手渡ししていますが、数少ない手渡しを迷惑がられたことがあります。
こういった意見の違いってご近所トラブルになりかねない確執を生んだりするので注意が必要です。
日々の生活そ快適に過ごす上で、ご近所トラブルはご法度ですよね。
大きなトラブルにならないよう回覧板に関するみんなの意見を集めてみました。
回覧板はポストに入れる?それとも手渡し?
回覧板を手渡しするか、ポストに入れるかは大きく意見が分かれる部分のようです。
別の意見の人がどう思っているかを知るのは、分かり合ううえで大切なことです。
ポストに入れる派と手渡しする派のそれぞれの考えをご紹介します。
ポストに入れる派
回覧板を渡すためだけにわざわざチャイムを鳴らさないでほしいわね。回覧板を受け取るために玄関まで行くのは時間の無駄だと感じてしまうわ。
井戸端会議に巻き込まれるのも嫌だし…。だから、私はいつもポストに入れているの。
若い人は密接な近所付き合いを苦手とする人が多い傾向にあるようです。
そのため加入が任意の自治会自体に加入しない人も多いようです。
しかし、家に近いごみ集積所が自治会管理のものだったりすると自治会に入らないとゴミ出しできず、仕方なく加入している人もいます。
そういった方は特に回覧板を渡すのにチャイムを鳴らさないでほしいと思っている人がおおいようです。
そうでなくても、回覧板の受け渡しのためだけに隣人と顔をあわせることを煩わしいと感じる人は多いようです。
手渡しする派
留守中にポストに入れられたり外に置かれてしまうと不在がばれてしまうので、直接手渡してほしいとおもうわ!
知らない間に雨が降ってびちょびちょになってしまうこともあるし、ご近所づきあいも大切よね。
手渡し派は比較的高齢の人が多いように思います。
回覧板がポストに入らないのであれば、直接渡すよう努力するべきかもしれません。
地域に住んでいる方の個人情報が書いてある可能性がある回覧板を外に置きっぱなしにするのは問題ですよね。
隣家に届けたから自分のせいではないと思っている人も多くいるかもしれません。
しかし、隣家の人が受け取っていないのに放置したのであればそれは隣家の人の責任ではなく、そこに放置した人の責任となります。
回覧板が不在ばれの原因になるという要因ですが、最近はAmazonの置き配が主流となっているので、留守中に段ボールがおいてあることが多々あります。
そういう意味では回覧板だけが不在ばれの原因ではなく、どうしても気になるのであれば受け取る側で何らかの対策をすることが必要ですよね。
手渡し派とポスト派の意見をまとめてみると
近所付き合いが濃密だった昔からの習慣としては回覧板は手渡しをすることが基本でした。
しかし、時代が進み発展してきた現代では、回覧板を手渡ししなくてはならないというのはいささか時代錯誤な考え方のように思えます。
若い世代にとっては無駄な手間という認識なるのは仕方ないことでしょう。
一方で、高齢化社会の中で、地域の支援の手を必要としている高齢者が多くなってきているのも確かです。
そういった高齢者が多い地区では手渡しをすることで、相手の体調や困っていることを聞いたり、安全を見回ることが出来るんです。
こう見ると、若い世代が多い地域と高齢者が多い地域ではだいぶ回覧板の果たす役割への意見が違っています。
隣人のタイプによって臨機応変に回覧板の回し方を変える必要がありますね。
初回はおそらくご挨拶のため直接顔を合わせると思いますので、その時に手渡しとポストどちらがいいか聞いてみるといいかもしれません。
回覧板ってなんでできたの?
実際多くの自治会で回覧板を使用していますが、いつからあるもので、どういった目的で作られたものなのでしょうか?
実は、成立当初の目的と現代では状況が大きく変わっています。
回覧板が出来た理由と使用用途について考えてみます。
回覧板が出来た理由
1939年に隣組整備推進中の東京市が、隣組回覧板10万枚を配布したことから回覧板が普及し始めました。
1940年9月頃に全国に回覧板が普及していたようです。
戦時中に国民の団結力を高めるとともに情報や配給の円滑なやり取り、空襲などに備えて協力することなどを目的としていました。
参考 隣組とは太平洋戦争時、国民統制のためにつくられた地域組織のことです。 近隣数軒が一組となって、互助・自警・配給などにあたりました。
現在では、地域社会のお知らせ文書などを各家庭で共有するために各地に自治会で回覧板が使われています。
戦時中は空襲や困窮が激しく、近隣住民の助け合いがないと生きていけな状況だったかもしれませんが、現代はそこまでの助け合いを必要としている人はあまり多くはないですよね。
回覧板に記載されている内容
戦時中においては、避難場所や配給の日時と場所、防空と呼ばれる竹やり訓練やバケツリレーの練習日など生活に欠かせない情報が記載されていました。
現代では総会日時・ゴミ収集日・防災・防犯の情報・市政からの予防接種や各種健康診断のお知らせといった情報が回覧されています。
その他、地域生活に即した自治会内の身近な話題やイベント開催のお知らせなどものっているようです。
イベントの参加者の調査などを回覧の強みを生かして行うこともあるようです。
しかし、正直どれも別媒体で簡単にできることばかりですよね…。
回覧板は必要?それとも不要?
回覧板の存在の意義はネット上では賛否両論ですが、インターネットを使いこなす若い世代に押されて、反対意見のほうが多くみられます。
それぞれの意見をご紹介したいと思います。
必要派
回覧板は地域の情報を得ることが出来る数少ないツールだし高齢者世帯の安否確認に役立っているの。
近隣の住民と交流できる地域のイベントの情報を得ることが出来るし、出欠の確認もできる重要なツールなんです。
読んだ読まないの確認とか、校区祭の出店のチケット配布とか、署名集めとか、葬祭のお知らせとか回覧板でないと困ることがあるとの意見がネット上では散見されました。
また、回覧板を持って行って受け渡すことには、高齢者世帯の安否確認や、異常の有無に近所が気づけることなど防犯や安全対策としての意味もあります。
高齢者を守るという意味で回覧板の存続を求める声がおおかったです。
不要派
ゴミ出しやイベントなどの情報はネット上で確認することが出来るので、情報に大きなタイムラグがある回覧板の必要性が感じられないんです。
そのうえいろんな人の手や家を渡ってくるうえ外に置かれることもある回覧板は不衛生ですよね。子供がいるから心配です。
インターネットで情報収集に慣れている若い世代にとって回覧板にのっている必要な情報のほとんどはちょっとネットで検索すれば出てくるものであるという思いが強いようです。
紙の回覧板を回すこと自体ある種、時代遅れだと考えている人も多く、前例を引きずりすぎて時代にあっていないとの意見がありました。
情報取得にタイムラグがあることが気になっている人もいるようです。
回覧の途中の人が忙しかったり、長期の外出をしていたりする場合、回覧機関は非常に長くなりがちです。
イベント終了後に情報きたら、そんな回覧は不必要と言われてしまっても仕方がないかもしれません。
デジタル回覧板のメリットとデメリット!
最近のデジタル化社会の波に乗って、回覧板のデジタル化も少しずつですが進んでいます。
情報のタイムラグや衛生の面などの問題を解決したうえで、回覧板という地域のコミュニケーションツールを残すことが出来ると注目されています。
デジタル回覧板とは
回覧板をインターネット上に準備し、そこに運用者が情報を発信することで、地域の人々が一斉に情報を確認することのできるプラットフォームのことです。
現在、様々な自治会でデジタルの回覧板は専用アプリと別用途のツールを回覧板として利用することの二通りがあるようです。
既存のSNSアプリなどを応用して回覧板のように使用する方法は、回覧板専用に作られていないため高齢者には適応しにくいという難点があります。
もう一つのいくつか存在する回覧板専用のスマホアプリを使用する方法は、回覧板専用に設計されたアプリなので使い勝手がよく、難しい操作なく回覧物を確認することが出来るようです。
メリット
デメリット
回覧板はポスト投函と手渡しどっちがいい?それぞれの考えを紹介!まとめ
ポイント ざわざ回覧板を渡すためだけにチャイムを鳴らさないでほしい 若い人は密接な近所付き合いを苦手とする人も多い ゴミ出し問題などで、回覧板に仕方なく参加している人もいる 留守の証になってしまう 雨などで回覧板が汚れかねない 高齢者が多い地区は手渡しをすることで見回りになる 隣人のタイプによって臨機応変に回覧板の回し方を変える必要がある
今回は回覧板についてのいろいろな意見を集めてみました。
正直私個人としては、回覧板はなくてもよくて、あるとしたらポスト投函がいいと思っています。
あまり、地域の方と密接な交流を意識したことがないことと、回覧板がコミュニケーションツールとして機能した場面にあったことがないからです。
ネット上の意見も私が調べた範囲ではポスト投函のほうが優勢に感じました。
だれもがいらないと思っても、それを変えるために動かないから今でも続いているのかなと思います。
回覧板に限らず、昔からの伝統で続けているが本当にいるのかわからない習慣っていろいろあると思います。
誰かが声を上げなければずっとだらだらと続いていくばかりなので、この記事を読んだ皆さんはぜひ変化を起こしてみて下さい。