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日本史を逆から学ぶのは効果的なのだろうか?

多くの学校で、歴史の授業というのは、縄文時代、弥生時代・・・

と歴史を下ってくる教え方をしています。

ところが、後の時代で発生する事柄というのは、必ず、その前の時代の

出来事が影響しているもので、その因果関係がわかると、結構スッキリと

歴史の流れが頭の中に入ってくるものです。

そんな、歴史を逆から学ぶことにフォーカスした本が、今回ご紹介する

書籍となります。ぜひ一度、書店で本をとってご覧いただければと思います。

日本史は逆から学べ 河合敦著

知恵の森文庫より出版されている、「日本史は逆から学べ」という本がありますが、

これが、歴史を遡って学ぶのに、ちょうどよい、よくできた教材になります。


どんな内容が書かれているかというと、

例えば

「なぜ日本はアメリカと戦争をしたのか?」

という日本人なら一度は考えておきたい問題についても、まえがきのところで

下記のような流れで遡って記載されている。

「なぜ日本は、戦力差のあるアメリカと戦争を始めたのか?」

→日中戦争の泥沼化を打破するため

とある、なるほど、たしかに、太平洋戦争が始まったときは、日中戦争は

大変な長期戦となっていて、泥沼と行っていい状況になっていました。

では次に、

「なぜ日本は中国と、泥沼化する全面戦争を始めたのか?」

という質問が投げかけられる。

→満州国建国に満足できず、その後も日本軍が中国を侵略し続けたから

と、回答がある。

歴史を勉強した昔を思い出すと、ああ、たしかに、日本は満州国という

傀儡国家を建国したあとも、中国というか大陸の利権を確保するといった

理由で、侵略を続けていたなあなんてことを思い出すわけです。

 

といった流れで、前編に渡って、おこった事象について、その原因を

記載し、どんどん、前の歴史に遡っていく、まるでタイムマシンを

使っているような流れで書籍が進んでいきます。

なぜ日本は、経済大国に成り上がることができたのか?

高度成長期というのは、はるか昔の話となり、低成長時代とか、失われた20年とか

あんまり景気の無い言葉が並んでしまう昨今の日本ではありますが、

現在も、日本は世界でも確固たる経済大国であるということは、今の所、だれも

疑うことは無いでしょう。

では、なぜ、日本は、経済大国に成り上がることができたのでしょう。

筆者の回答は、大変端的で明快です。

「アメリカが戦後日本の経済成長を後押ししたから」と回答されます。

第二次世界大戦および太平洋戦争の終戦は1945年(昭和20年)

そのわずか5年後、お隣、朝鮮半島で戦争が勃発しました。

ご存知、朝鮮戦争です。

1950年6月、北朝鮮が朝鮮半島の統一に乗り出し、国境の

北緯38度線を超えて、韓国に侵攻をはじめました。

そうすると、アメリカ軍を中心とした、いわゆる国連軍が戦争に介入し

日本各地のアメリカ軍基地から、多くの兵士たちが出撃していきました。

この戦争の際に、アメリカ軍は必要となる物資を大量に日本企業に

発注を行いました。

終戦後、経済は大混乱を極めていた日本にとって、最大のチャンスとなり、

朝鮮戦争は、日本国内では、特需景気と呼ばれる、好景気をもたらし、

驚いたことに、1950年代のはじめには、日本の鉱工業生産は、

なんと戦前の水準まで回復してしまっています。

こんなことを言っては、いささか不謹慎なのではなりますが、

まさに、戦争さまさま、といった事情がありました。

なぜアメリカは、戦後日本の経済成長を後押ししたのか?

人類の歴史というのは基本的に戦争の連続で、平和な時期が長期間続くというのは

なかなか難しいものです。

第二次世界大戦、太平洋戦争が集結する、もしくは集結が見えてくると、

それまで一枚岩とは言わないものそれなりにまとまりを持っていた、アメリカを始めとした

連合国に対立関係が発生してきます。

後の、東西冷戦を司る、アメリカと、当時のソ連の対立です。

 

終戦まもなくのころ、アメリカは日本に対して、かなり過酷な占領統治を行い、

日本が二度とアメリカに逆らわない、弱い国にすることを目指して行ったと言われます。

ところが、戦後まもなくの1948年に朝鮮半島に、ソ連が支援する、朝鮮民主主義人民共和国

(北朝鮮)が誕生します。

続いて、1949年になると、中華人民共和国(中国)が成立しました。

そして、この中国は東側陣営に入りました。

こうなると、東アジアに中国、北朝鮮という社会主義国が誕生してしまい、アメリカとしては

なんらかの対応を取らなくてはいけなくなりました。

ここで、アメリカが出した方針が、日本を東アジアにおける西側(自由主義陣営)の強力な

防壁にしようという方向に方針転換したのです。

この後の経済政策のキーワードは

1948年 経済安定9原則と呼ばれ、

「予算の均衡、徴税の強化、資金貸出の制限、賃金の安定、物価の統制、貿易の改善、物資割当の

改善・増産、国産原料・製品の増産、食料集荷の改善」が目標として掲げられます。

この政策を推進するためにアメリカから派遣されたのが、ドッチ特別公使となります。

もう一つは、シャウプを団長とする税制使節団が来日し、その勧告により、直接税を中心とし、

企業にかかる法人税を安くする税制改革が断行されます。

 

戦後の経済政策は、多くの部分をアメリカ手動で進むことになりましたが。

その結果として、戦後の急激なインフレはなんとか落ち着き、物価が落ち着くようになり、

1950年に朝鮮戦争が始まると、特需景気が始まり、日本経済は段々と上向いていくように

なりました。

なぜアメリカは、日本を西側陣営の防壁にできたのだろう?

答えは、戦争に負けて、アメリカに占領統治されていたから。

ということになりますが。

占領統治という時代を知らないので、実感はわきませんが、

日本に政府があっても、政策を実行できない状態というのでしょうか。

今となっては、歴史上の話になってしまうので、いかんともしがたいところですが、

戦後しばらくは、GHQ(連合国最高司令官総司令部)による統治が続くわけですが、

連合国といっても、ほとんどがアメリカ軍でしたので、アメリカに単独統治されていた

と言って良い状況が続きました。

アメリカ軍の統治政策は、日本の非軍事化と民主化を掲げており、二度とアメリカに

逆らわない国に日本を仕上げようということでした。

GHQによる五大改革司令

婦人の開放、労働組合の結成、教育の自由主義化、圧政的諸制度の撤廃、経済の民主化が

アメリカが日本を民主化するための基本方針となりました。

1946年にはいわゆる東京裁判も開始され、東条英機以下7名が絞首刑、小磯国昭以下16名が

終身禁固刑といった処罰を受けました。

財閥制度と地主制度が軍国主義の温床と考えられ。財閥解体と農地改革が日本政府に命じられて

いきます。

民主化の総仕上げが、日本国憲法となりますが、日本国憲法の施行は1947年5月3日、

戦争が終わったのは1945年8月15日。まだ、2年も立たないうちにGHQによる急激な

改革が進んでいったわけです。

 

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