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歴史に学ぶ ビジネスマンなら 最強の教訓世界史を読んでおこう

早いと小学校高学年から始まり、中学、高校と、日本史、世界史といった

科目があり、多くの方が勉強してきている歴史。

さて、どうでしょう。歴史を学ぶといった場合、どういうイメージを持たれますでしょうか。

年号を覚える、人の名前を覚える、なんだか暗記ばかりだった。

という負のイメージを持たれる方は、結構多いのでは無いかと思います。

今日ご紹介するのは、「歴史を学ぶ」のではなく「歴史に学ぶ」をコンセプトとした

大変、面白い本です。

企業の中にいると、なんかこの会社おんなじ失敗ばかりしていないか?

と思うことが、正直たくさんあったりします。

これは、歴史を学んでいるだけで、歴史に学んでいないんです。

そう、おんなじ失敗を繰り返しているんですね。

そういったことが無いようにという教訓を得るための書籍です。


最強の教訓!世界史 神野正史著

本の帯には、「面白すぎて世界史中毒続出、最強予備校講師の名講義」と

黄色い帯紐がついており、書店の店頭で見かけられたかたも多いのではないでしょうか。

「歴史から教訓を学ばぬ者は、過ちを繰り返して亡びる。」

イギリス首相 W・チャーチル

言わずとしれた、イギリス第二次世界大戦中の首相の一言です。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」

ドイツ宰相 O・ビスマルク

鉄血宰相のあだ名を持つ、ドイツの政治家です。ご存知の方ももちろん多いでしょう。

「歴史に学べ。それによりひとの行動が読める。何が変わって、何が変わっていないかがわかる。」

日本首相 吉田茂

葉巻の宰相 吉田元首相の言葉です。

お三方とも、歴史に学ぶことの重要性を端的に表す発言を残されていますが、

なかなか、歴史に学ぶというのは、意識しないと難しいのかと思います。

日本の教育の中では、どうしても、歴史は暗記科目になってしまい、

正直、歴史に興味がある人じゃないと、うんざりしてしまうというのが

多くの方の経験ではないでしょうか。

歴史・・・え、もういい。というかたも多いと思いますが。

この神野正史氏の「最高の教訓!世界史」は、暗記することは全くありません。

歴史上の人物がどのように成功を掴んでいったかを、大変面白い文章で

綴られている本になっています。

作者の神野正史氏のご紹介

本の帯にも記載があるように予備校の講師を務められている方です。

「講師の代ゼミ、生徒の駿台、机と椅子の河合塾」というのは、私が学生時代に

各予備校のカラーを表した言葉でしたが、神野講師は河合塾の人気講師です。

予備校の講師というのは、完全に人気商売ですので、人気講師の講座となると

その辺の高校の先生の授業何かと比較にならないくらい、授業が面白いものです。

書籍もたくさん出版されていて。

「世界史劇場」シリーズ(ペレ出版)

「世界史に強くなる!古典文学の漫画講義」(山川出版)

「爆笑トリビア解体聖書」(コアラブックス)

等々、当然ながら世界史関連の書籍を数多く出版されています。

さて、実際にどのように面白いかというのは、書籍を購入していただいて

読んで頂くのが一番良いのですが、要点について簡単にご紹介していこうと思います。

逆境は飛躍の糧 ナポレオン・ボナパルトと劉備玄徳を例に

ナポレオン・ボナパルトと言えば、若くしてフランス皇帝に上り詰めた英雄。

劉備玄徳と言えば、三国志の中の蜀の皇帝。

二人とも、歴史に名を残した人物と言っていいでしょう。

まず、ナポレオンの話ですが、もともと、ナポレオンはコルシカ島の生まれで、

フランスの上流階級からは、かなり縁遠い人です。

もともと、故郷のコルシカ島に関心のある人で、コルシカ島の英雄パオリ将軍

という方を尊敬していました。

フランス革命当時に、ナポレオンはこのパオリ将軍のコルシカへの帰郷を

聞きつけて、フランス軍での地位を捨てて、コルシカ島に里帰りします。

パスカル・パオリと呼ばれた将軍、といっても、その当時のコルシカ王国の最高職で

あったため、あたかも国王であったかのような方ですが、

この方、フランス革命を支持しない、いわゆる君主制主義者と呼ばれる考えの方で

方や、ナポレオンはフランス革命を支持していたので、政治的信条が全く違ってしまい

結局仲違いしてしまい、ナポレオンはコルシカ島を追放されてしまいます。

なんと、ボナパルト家の全財産が没収。母親と3人の弟と3人の妹を養っていく

必要があり、将来の皇帝、ナポレオンは、急速に貧乏になっていってしまうのです。

失意のときこそ、新たな目標を立てて動く!

後の皇帝も、とんでもない立場になってしまうものです。

それでも、将来皇帝になるような人は、ちょっと違うようです。

結局、コルシカ島を追い出されたことで、フランスで生きていくしか

ならなくなり。

幸か不幸か、ナポレオンがフランスに戻った頃には、フランス革命は国王ルイ16世を

処刑するまでに至っており、フランス軍のお偉いさんがみんないなくなってしまったのです。

もう、野望全開で立身出世に邁進することになるわけです。

禍福は糾える縄の如し。常に好機に目を光らせよ!

禍福は糾える縄のごとし。

人間万事塞翁が馬。

どちらも、一言でいうと何が幸いするかわからないといった意味の言葉ですが。

失意のどん底に落ちたナポレオンは上層部がいなくなった好機を見逃しませんでした、

今こそ、立身出世のチャンス!と捉えました。

とはいえ、ナポレオンは生粋のフランス人ではないので、すぐに活躍できるわけでは

ありません。

そこで、当時の権力者にすり寄るような、半ばゴマすりのような冊子を1ヶ月で

書き上げます。

その冊子が、「ボーケールの晩餐」という冊子になります。時の最高権力者ロベスピエールへの

ゴマすりと言われかねない、ジャコバン派向けの冊子が功を奏し、ナポレオンは砲兵隊長に

抜擢されます。

チャンスが来てからあわてて努力を始めたのでは遅い。

なんとも耳の痛い話ですが、チャンスが来てから、じゃあ準備しようじゃあ

何事も遅いということなのでしょう。好機の髪に後ろ髪なしとは良く言ったものです。

人生という試合で最も重要なのは、休憩時間の得点である。

というのは、ナポレオン本人の言葉です。

この先、ナポレオンは皇帝にまで上り詰めます。その後はフランスを追い出され

悲惨な感じになりますが、とはいえ、皇帝に登りつめたきっかけとなったのは

不遇な時代に書いておいた1冊の冊子であったというのは、大変興味深い話だと思います。

劉備玄徳 戦に破れ、追われ続ける半生

劉備玄徳と言えば、三国志の英雄、蜀の皇帝に即位した人物ですが、

まあ、三国志を読んだことのある方は、おわかりかと思いますが、

名軍師諸葛亮孔明が出てくるまで、読んでも読んでも、孔明が出てこない。

有名な赤壁の戦いはいつ出てくるんだ。。。ついに、孔明も、赤壁の戦いも

小説では読むことができなかった。。。何ていうのは何も私だけではないような

気がします。

そう、この状況からわかるように劉備は、結構な歳になるまで、ちっとも出世しないんです。

ようやく城持の身になったのは、40歳になってから、当時の寿命から考えるともう老境に

差し掛かろうかという年齢になります。

最強の教訓!世界史の中には、このような記載があります。

「努力は必ず報われる」というのは嘘です。

成功する者は皆 すべからく努力している

というのも、まあ、真理のようなところがあり。

努力が無駄になることはありません。努力することを止めた瞬間、それまでの努力が無駄になるだけです。

劉備が雌伏のときに何をしていたかというと、人材集めということになりますでしょうか。

ご存知、諸葛亮孔明との三顧の礼の話は、この雌伏の時代の話です。

行き詰まったときこそ、今できることを必死で考える。

いい話をするものです。行き詰まると、いろいろ嫌になってしまい、投げ出してしまう

ことが多くなってしまうものですが、

さらに続けると、「継続は天才に勝る。」といいます。

この、最強の教訓!世界史の中では、いろいろな場面で出てくる話ですが、

幸運の女神が見えてから慌ててもしょうが無いんです。

いつでも、手を伸ばして、幸運をつかめるようにしておかないと。

「好機の髪に後ろ髪なし!」

思い返すと、人生そうだったなあ。あのとき、ああしていれば、こうしていれば

いろいろ思い出すこともたくさんあります。

常に準備を怠らないようにしたいものです。

第一章 ナポレオンと劉備玄徳の話は、こんな話で結ばれます。

雪に耐えて梅花麗し。

幕末の英雄、西郷隆盛の歌です。

西郷さんというと、もっと無骨な感じがしますが、なかなか

風流のある歌を詠むものです。

ー冬の雪と寒さを乗り越えてこそ、春になったとき、梅は売るくしい花を咲かせ、

芳しい香りを放つことができるのだ。ー

 

「明けない夜はない。」とも言います。

たとえ今、恵まれていなくとも、逆境に立っているとしても、

いつか現れる幸運の女神の前髪を、しっかりと掴んでいきたいものです。

天は自ら助く者を助く

最強の教訓!世界史、全体として、教訓めいた話が正直多いです。

歴史に学ぶというのは、過去の歴史を振り返って、同じ過ちを犯さないように

という意味合いが強いので、まあ、致し方ないところではあります。

第2章では天は自ら助く者を助くと題して、ユスティニアヌス大帝と、東郷平八郎元帥を例に

話が進んでいきます。

 

ユスティニアヌス大帝・・・といって、すぐにああ、こういう人という方は、正直

あんまりいないんでは無いかと思います。

東郷平八郎元帥は、もちろん、ロシアを相手にした日露戦争における、日本海海戦時の

海軍元帥です。日本人で、東郷平八郎を知らないというのは、ちょっと問題です。

ちゃんと勉強しましょう!

それでは、ユスティニアヌス大帝から。

ユスティニアヌス大帝 反乱鎮圧に腹をくくる

中世ヨーロッパを代表する帝国が東ローマ帝国となりますが、この帝国の

一千年の歴史のなかでも、その絶頂期の皇帝が、ただ一人「大帝」と呼ばれる

ユスティニアヌス大帝になります。

ユスティニアヌス大帝が即位に至った頃は、もとのローマ帝国がゲルマン民族の

侵攻によって、東と西に分裂し、西ローマ帝国はあっという間に滅亡。

東ローマ帝国も、西からのゲルマン民族の侵攻、東からはササン朝ペルシャの侵攻もあり、

国内は反乱が相次ぎ、混迷を極めていました。

そんなころ、貧農育ちの将軍が皇帝に即位します。

それが、ユスティニアヌス大帝の叔父にあたるユスティヌス1世になります。

即位したときにはすでに68歳、子供もなく、彼がなくなったら、国内がまた

混乱することは目に見えていました。

そこで、ユスティヌス1世は、姉の子供を養子として後継者に据えます。

それこそが、ユスティニアヌス大帝ということになります。

即位したときには、ユスティニアヌス大帝はすでに44歳になっていて、

決して若くはない。国を建て直さなければならないという思いに駆られ、

ありとあらゆる改革を一気に進めていきます。

なんでもそうですが、あまり、急激に物事を変えていくと、でてくるんです、

抵抗勢力。。やっぱり反乱が起こってしまいました。

歴史上は「ニカの乱」と呼ばれる反乱です。

反乱軍は、ヒュパティウスという、前の王朝の皇帝の甥という、なんとも微妙な立場の方を

新皇帝に担ぎ出し、宮殿には火を放たれるような騒ぎになってしまいました。

ユスティニアヌス大帝、一度は信頼する将軍を反乱鎮圧に向かわせるものの、すぐに鎮圧失敗の

報告を受けると、あっさりと亡命の準備を始めます。このときは、まだ覚悟がなかったんですね。

帝位は最高の死装束なり

「名君の陰に賢妻あり」という言葉があり、日本でいうと、豊臣秀吉の妻「ねね」とか

山内一豊の妻の「見性院」といった、夫を支えた妻が歴史上おられましたが、

この、ユスティニアヌス大帝にも大変な皇后がいました。名前は「テオドラ」です。

皇后となる前は踊り子というか、売春婦であったという話もあるような、元は

身分の低い方なのですが、人生経験豊富というか、肝が座っている女性でした。

逃げ出す、ユスティニアヌス大帝に、「帝位は最高の死装束なり、戦いなさい、

最後まで戦って皇帝として死になさい!」と言い放ちます。

この言葉を受け、ユスティニアヌス大帝も腹をくくります。

なりふり構わず、逆らうものは皆殺し

一度は、鎮圧に失敗した反乱ですが、最初は、「市民に危害を加えたくない」「なるべく穏便にことを済ませたい」

といった思いが先立ち、失敗に終わりました。

ただ、腹をくくった軍はひと味もふた味も違います。

なりふり構わず、逆らうものは皆殺しの覚悟をもって、鎮圧に臨むと、

以外にも簡単に反乱鎮圧に成功します。

強固に見える「壁」も意外に脆い。

人は「壁」に遭遇すると、実物以上に高く分厚く感じてしまう事が多くあります。

ここで、こころの抑えとなっている制御装置を外して、開き直って物事を進めていくと

意外なことに成功することもあるといった教訓でした。

東郷平八郎はリストラ寸前の老提督だった?

東郷平八郎は、その死後「神」として祀られた人物ですが、例えば、

司馬遼太郎の代表作「坂の上の雲」のなかでは、東郷平八郎が、日本海海戦時の

提督に選ばれたのは、その持ち合わせた「運」によるところも大きい、といった

記載があります。

もちろん、ご本人も大変優秀な方だったのだと思いますが、最強の教訓!世界史の中でも

やっぱり「運」にフォーカスして描かれることとなります。

明治の帝国海軍にはリストラがあった

軍隊というのは、会社に非常によく似ていると常々思いますが。

明治時代の帝国海軍では、日清戦争に備え大リストラを実施しました。

将官8名、尉佐官89名、合計97名の大リストラ。

その候補に東郷平八郎も入っていたと言われます。

この頃の帝国海軍というのは、明治維新に功労があったというだけで

昇進をしているかたも多かったと言われ、リストラは不可避であったようです。

韓信

ハンニバル

オットー・ビスマルク

上杉謙信


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