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失敗の本質から指標の設定方法を学ぶ

失敗の本質という本は、目標設定とか組織運営といった問題について

日本軍の敗戦を研究することによって大変多くの示唆を与えてくれる本です。

ビジネスにおいても、競合に負けないための「指標」をいかに選ぶかということが

重要な戦略になります。

こちらの記事では、その辺りについて記載していきたいと思います。

石原莞爾と日本軍の指標の違い

失敗の本質の中では、石原莞爾は日本陸軍の異端児として紹介されています。

最終階級は陸軍中将でしたので、それなりの地位の方ということができますが、

それより、なにより、軍事思想家と紹介される、実際の歴史がこのように進んだら

どういう歴史になったのだろうかと思わせる部分がたくさんあります。

簡単にまとめると、

日本軍の戦争における指標・・・どこかの戦闘に大々的に勝つことによる決戦戦争

石原莞爾の戦争における指標・・・生産力・国力増強をベースとした持久総力戦

といった記載方法になります。

もう少し細かく書きましょう。

日本軍がどのように考えていたかというと、どこかの戦場で「大勝利」すれば、国家間の戦争の

勝敗も決まると考えていたと推測されます。そのため、戦争を終わらせるために返って戦線を

拡大していってしまい、最終的には破滅を迎えました。

どこかの戦場での「大勝利」・・・これは当然、日露戦争における日本海海戦の経験から

離れる事ができず、同じく日露開戦の二百三高地の戦いの経験を引きずっていると

言って良いでしょう。過去の成功体験から離れることができなかったと考えることができます。

石原莞爾がどのように考えていたかというと、

日米開戦前は

・満州国を興隆させることで、日本とその領土において国力を増強する。

・中国戦線には深入りしない。

・日本が国家としての体力がついた時点で、日米の最終戦争の準備を行う。

といったことを考えていました。

アメリカとの戦争が始まった後に、ガダルカナル島の制空権をアメリカ軍に奪われてからは、

・日本の補給線を念頭に置く

・ビルマ国境、シンガポール、フィリピンまで撤退

・防衛戦の強化を図る

・本土防衛にはサイパン、グアム、テニアンの南洋諸島を難攻不落の要塞とする

と言ったことを考えていました。

戦争に負けて、日本は戦争をしない国になったので、現在から振り返ると、

多大な犠牲を払って、戦争に負けたのは貴重な教訓だったのかと振り返ることも

できますが、この石原莞爾の思想が少しでも当時の日本軍に反映されていれば、

多少なりとも、損害は少なくなったのではないかと思えてしまいます。

石原莞爾の指標はなぜ考えることができたのか?

陸軍の異端児と呼ばれた石原莞爾は1922年に当時のドイツ・ベルリンに留学しています。

太平洋戦争が近くなると、こういった海外を知るといった経験もなかなか踏めなくなって

来るわけですが、少なくとも、石原莞爾は海外事情を知っていた、そして、ドイツ留学では

第一次世界大戦にドイツが何故負けたのかということを研究しています。

軍人の留学ですから、戦争を研究するのは、ある意味当然なのですが、

負けを研究するというのが、目の付け所が鋭かったと言っていいでしょう。

石原莞爾によると、第一次世界大戦は「持久総力戦」であり、ドイツはそのタイプの戦争に

負けたとの結論を得ています。

第一次世界大戦から、戦争は国家間の総力戦を呈しており、というのは、NHKの映像の世紀などでも

語られていたのを覚えていますが、石原莞爾は留学時代の経験によって、これからの戦争は、

総力戦で勝てるような戦略を考えなければならないということに気づいていたのでしょう。

指標の立て方を実際のビジネスで考えてみる

「超」入門失敗の本質の中では、インテルと日本電機メーカーの「指標」の違いについて

記載がされています。

インテルは今でもパソコンのマイクロプロセッサ(MPU)の大手企業ですが、

もともとはメモリ(DRAM)の開発会社として創業されています。

しかしながら、1980年代には、日本企業の販売攻勢に大苦戦し、1985年には

メモリ事業から撤退しています。

当時の日本企業は安くて高性能なメモリを生産性の高い巨大工場で製造し、インテルは

市場競争力を急速に失い、撤退に追い込まれていきました。

では、どのようにマイクロプロセッサ(MPU)市場でのし上がっていったのかというのが

ポイントになるわけですが、マイクロプロセッサの処理速度で勝負をしようとすると

メモリと同じツテを踏むことになりますので、そこで、マイクロプロセッサで求めた指標は

「活用しやすさ」としました。

具体的にはMPU単体で開発するのではなく、MPUと組み合わせることでパソコンの機関部品となる

マザーボードを開発しました。この「MPU+マザーボード」を活用したパソコンメーカーが世界中で

誕生することとなります。

そして、インテルはこのマザーボードのライセンスを台湾企業に与えて、

世界中で安価にマザーボードが普及するようになり、結果として、MPUのシェア争いは、

インテルが勝利することとなりました。

「指標」をどのように考えていくかの一例でしたが、この、MPUのシェア争いの話は

他の分野に置き換えてみると、様々な分野で同じような企業競争が繰り広げられていることが

わかります。

具体例を上げると、

半導体メモリ市場の日本企業の衰退

半導体メモリ市場の日本企業の衰退を例に上げることができると思います。

インテルを駆逐していた頃の、日本企業は、半導体メモリ市場で一時代を築きます。

しかし、あまりにも処理速度という指標にこだわりすぎました。

結果として、台湾、韓国といった国々の企業にどんどん市場を奪われていって

しまうことになりました。

液晶テレビ市場における日本企業の衰退

液晶テレビ市場における日本企業の衰退も同様のことが言えます。

液晶テレビと言えば、なんと言ってもシャープが例となるわけですが、

最盛期は、大阪堺に大規模向上を建設し、世界の亀山ブランドと言う言葉もありました、

液晶テレビのAQUOS(アクオス)は、トップブランドでした。

どうでもいいことですが、我が家のテレビもAQUOS(アクオス)です。

そして、そのシャープが持っていた「指標」はおそらく、「大画面」だったのでは

ないでしょうか。台湾、中国企業の追い上げは凄まじく、結果、今、シャープは

台湾企業となっていることは、皆さんよくご存知かと思います。

「超」入門失敗の本質の中にも記載がありますが、同じ「指標」を追い続けると

どこかでつまづきます。環境変化に応じて、新しい「指標」を探していかないと

市場から撤退しないと行けなくなるということは覚えておく必要があるでしょう。

この辺りの、同じ指標にこだわった場合の失敗例については、こちらの記事で

まとめてみました。

ゼロ戦と戦艦大和 同じ目標にこだわるといつか失敗する日が来る

 

ちょっと、話がそれますが、MPU+マザーボードといった何かを組み合わせる

考え方は、コンサルタントの大前研一氏も著書の中で、発想法の一つ

コンビネーションとして考えを述べられています。この辺りについては

こちらの記事にまとめてみました。

組み合わせでビジネスを考える方法

 

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