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海王丸座礁事故における船長の責任や損害賠償・現在・その後【激動!世紀の大事件】

フジテレビの「土曜プレミアム・報道スクープSP 激動!世紀の大事件7」でも取り上げられた、2004年10月20日台風23号による航海練習船海王丸座礁事故。船長の責任や損害賠償、事件後の海王丸のその後についてまとめてみました!

海王丸座礁事故における船長の責任

2004年10月20日台風23号の強風のなか、航海練習船海王丸は富山県の伏木富山港において座礁事故を発生した。乗組員及び実習生167名は、ヘリコプターや潜水士(最近は海猿とも呼ばれるかな?)による懸命な救助活動によって、辛くも全員が救助されるという結果に終わりました。

しかしながら、岸壁に激突した海王丸の映像はかなり衝撃的であり、海王丸座礁事故における船長の責任は、厳しく追求されることとなりました。

海王丸座礁事故の海難審判について

  • 一般に、海難事件(海上での事故等)については、海難審判という裁判によって責任のあり方が問われることになります。
  • いわゆる裁判所とはちょっと違った機関であって、この事故については、横浜地方海難審判庁というところが受け持っています。
  • 尚、海難審判庁というお役所は、2008年10月1日、懲戒処分業務を国土交通省の特別の機関たる海難審判所に、事故原因究明事務を国土交通省の外局たる運輸安全委員会にそれぞれ移管し、廃止されています。

海王丸座礁事故の海難審判記録について

事故から1年3ヶ月が経過した、 2006年1月20日、横浜地方海難審判庁にて、練習船海王丸乗揚事件として、判決が出されています。

公式記録の中では、船長の池田重樹氏についても、受審人Aということでお名前は伏せられて記録が残っています。

  • 件名 練習船海王丸乗揚事件
  • 言渡年月日 2006年1月20日
  • 受審人
  • A 職名:海王丸船長 海技免許:一級海技士(航海)
  • B 職名:海王丸一等航海士 海技免許:一級海技士(航海)
  • 指定海難関係人 C所 業種名:船員教育機関
  • 補佐人 a,b(いずれもA及びB両受審人並びに指定海難関係人C所選任)
損害
  • 船底外板に多数の凹損及び破口を生じて浸水。
  • 乗組員18人,実習生8人,海洋研修生4人がそれぞれ重軽傷
原因
  • 海王丸・・・水路事情の把握不十分,風浪の影響に対する配慮不十分,避難措置不十分
  • C所・・・海王丸に対する支援態勢不十分
主文
  •  本件乗揚は,台風が接近する状況下,水路事情の把握が不十分であったばかりか,風浪の影響に対する配慮が不十分で,適切な避難措置をとらず,強い風浪の中で錨泊を続けて走錨し,陸岸に圧流されたことによって発生したものである。
  • C所が,海王丸に対する支援体制が不十分であったことは,本件発生の原因となる。
    受審人Aの一級海技士(航海)の業務を2箇月停止する。

結局、最数的に責任が問われるようになったのは、船長お一人ということになりました。

海王丸座礁事故における損害賠償について

さて、海岸というか、岸壁に船が打ち付けられるようになった海王丸座礁事故
船のダメージもさることながら、岸壁にも被害が発生しているはずです。
その、損害賠償というのはどのように行われたのか見ていきましょう。

日本における海難事故の法的扱いについて

  • 日本では、一般に事故をめぐる責任の追及については民事上の責任や刑事上の責任が問題となり、海難事故に関しても同様となります。
  • 海難事故の場合には特に将来的な海難の防止という観点から、運輸安全委員会による海難事故の究明(運輸安全委員会設置法1条)がなされることとなっています。
  • 故意・過失によって海難を発生させた船員に対しては海難審判所の海難審判による懲戒がなされる(海難審判法1条)。
  • なお、海難事故の究明や海難審判について以前は海難審判庁が担っていたが、2008年10月の法改正により海難審判庁は廃止され現行の体制に移行した。

海王丸座礁事故における損害賠償について

上記における、海難審判における懲戒というのが、海王丸座礁事件においてあったかと言うと、実は、先に記載したとおり、船長への業務の停止という指示しかでていないので、裁判による損害賠償というのは、行われていないということになります。

もっぱら、一般の損害賠償保険にて賠償が行われることとなりますが、今回の海王丸座礁事件において、損害賠償保険を利用した賠償金額は明らかにはなっていません。

海王丸座礁事故後の海王丸の現在について

  • 座礁事故後、35日間に渡り、海王丸は座礁したままとなってしまったが。
  • クレーン船2隻で釣り上げられ、新日本海重工業造船所へ曳航されました。
  • 2005年4月5日船底だけで130箇所も損傷があったため長引いたが仮修理完了。
  • 本格的修理のためIHI横浜工場へ曳航される。
  • 左舷側を中心に約4割の鋼材が取り替えられるなどされ、
  • 2006年1月5日、修理が完了した。

事故後、やはり修理の完了にはかなりの時間が要したが、無事修理が完了し。

現在は、日本丸とともに、航海練習船としての役割を果たしています。

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