「牛にひかれて善光詣り」はあまりにも有名な言葉です。
「思いがけないことが縁で良い方に導かれること」という意味で使われますね。
「牛にひかれて善光寺詣り実行委員会」もあります。
国宝や重要文化財がたくさんある善光寺は無宗派のお寺で、全ての人を受け入れるお寺として有名です。
七年に一度の「御開帳」もニュースになりますね。
ご本尊の「一光三尊阿弥陀如来」は日本最古の仏像だそうですよ。
お寺の中を巡るとご利益がありそうです。
パワースポットとしても人気なので年間の参拝者は700万人を超す、信州を代表する観光名所ですよ。
となれば周辺にはすてきなお店が並びます。
いろんな意味で行ってみたい善光寺。
暖かくなったら、信州小諸の街に行ってみたいな。
Contents
善光寺はなぜ有名なのでしょう?!
善光寺は一度は聞いたことがあることわざで有名!!
「牛にひかれて善光寺」。
むかしむかし、不信人なおばあさんがいました。
おばあさんが川で布を洗っていたら、どこからか牛がやってきて大事な布を角に引っ掛けて走り出しました。
おばあさんがあわてて追いかけると、牛は善光寺に入っていきました。
後について入っていくと、善光寺の仏さまの光で牛のよだれが文字に見えました。
「牛とのみ 思いすごすな 仏の道に 汝を導く 己の心を」と読めました。
おばあさんは仏さまを信じて覚りを求める心を起こしました。
その後、お婆さんが家の近くの観音堂にお参りしたら、観音様の足元におばあさんの布がかけてありました。
「ああ、あの時に牛だと思ったのは観音様の化身だったのだ」と気づき、ますます善光寺の仏さまを信じました。
そして極楽往生をとげました、とさ。
現在では「思いがけないことが縁で良い方に導かれること」という意味で使われます。
善光寺はパワースポットで有名!!
「遠くとも一度は詣れ善光寺」と江戸時代から言われているそうです。
一度でもお詣りをしたら「来世・現世にご利益がある」「極楽往生できる」と聞けば、行きたくなりますね。
善光寺の本堂を拝もう!
本堂は「国宝」に指定されています。
また、撞木造(しゅもくづくり)といって屋根はT字型になっています。
とても珍しい形です。
宗派を問わない「無宗派」なので、みんなお詣りしやすいのですね。
しかも「御印文頂戴(ごいんもんちょうだい)」という行事が1月7日から15日まで行われます。
善光寺の宝印を額に押してもらうのです。そして御印文を頂戴すれば、極楽浄土が約束されるといわれているのです。
なんて素敵!!
善光寺の御朱印をいただこう!
20種類ほど御朱印を頂けます。
美しい御朱印です。
もちろん御朱印帳も揃っていますよ。
善光寺のお戒壇巡りをしてみよう!!
瑠璃壇の下の回廊を手探りで進むのが「お戒壇巡り」といいます。
それは死の疑似体験でもあり、生まれ変わることを意味しているといわれます。
「極楽の錠前」に触ったら極楽往生できるそうです。
善光寺の経蔵に行ってみよう!!
経蔵には、仏教経典の全てを網羅した「一切経」が収められています。
中央に、輪蔵(りんぞう)と呼ばれるものがあり、腕木を押して回転させると、経典を全て読んだことと同じ功徳が得られるのだそうです。
なんてありがたい!!
善光寺は7年に1度の「御開帳」でも有名です!!
御開帳って何だろう?

絶対秘仏の「一光三尊(いっこうさんそん)阿弥陀如来像」と同じ姿をした前立(まえだち)本尊を公開する儀式です。本堂正面に立つ回向柱(えこうばしら)に触れたら、前立本尊とつながることができて、功徳があるといわれます。
回向柱って何ですか?

御開帳の時に立てられる柱です。回向柱の奉納は江戸時代から続く習わしだそうです。
幕府が松代藩に善光寺本堂の再建を命じたことが始まりで、旧藩内から寄進しています。
令和3年の回向柱は樹齢約150年の大杉だったそうです。
善光寺前の仲見世も有名ですよ!!
引用善光寺
長野といえば「おやき」ですね!!
小麦粉やそば粉を練った生地に、小豆や野菜で作った餡をくるんで焼いたものです。
長野県の郷土料理になっています。
長野だけでなく、気候や地形等の関係で米作りに適さない所で作られています。
仲見世には素敵なお店、寄りたくなるお店が並んでいます。
お食事、スイーツ、お土産、何でもありますが「おやき」のお店を紹介します。
引用喜世栄
他にも「みそソフト」「みそプリン」など聞いただけで「絶対食べたい」と思うものがたくさんあります。
長野県は味噌作りでも有名です。「信州みそ」ですね。
見た目は淡色で、辛口です。
日本全体で生産・消費されている味噌の約半分が「信州みそ」ですって!!
長野県内にみそ蔵が100軒もあるそうですよ!
それぞれのみそ蔵は「試食できる」「みそ作り体験できる」「見学できる」「お食事ができる」など、特徴を出しています。
みそ蔵巡りをしたら楽しそう!!

食べ歩きもでるようなので、お行儀に気を付けて食べながら散策してみたいですね!
本堂へ続く石畳は7,777枚もあるそうですよ!!
どこから運んできて敷き詰めたのか、興味があります。
でも数える勇気は…?
善光寺のすごい歴史に触れてみよう!!
引用善光寺
善光寺の御本尊は日本最古です!
善光寺のご本尊は「一光三尊阿弥陀如来(いっこうさんぞんあみだにょらい)」です。
日本最古の仏像です。
インドから朝鮮半島の百済国へ渡り、552年に仏教が日本に伝わったときに百済から日本へ伝えれられたそうです。
善光寺が始まってから約1400年以上、深い信仰を得ています。
そんな文献が残っているなんてびっくり!!

善光寺の梵鐘は長野冬季オリンピック開会式で有名に!!
1998年(平成10年)に長野冬季オリンピックが行われました。
その開会式で善光寺の梵鐘が世界平和の願いを込めて鳴り響きました。
この鐘にはすごい歴史があります。
上杉謙信と武田信玄は川中島の合戦で戦いました。1553年のことです。
この時武田信玄は善光寺如来や本尊、梵鐘から仏具まで甲府に移したといいます。
そして新しく「甲斐善光寺」を甲府に建てました。
重さ150キロもある鐘を長野から甲府まで運んだというのです。
その時に傷がたくさんついたので「ひきずりの鐘」といわれるそうですよ。
その後も善光寺の御本尊は戦国時代に各地を転々とし、40年後に信州に戻りました。
鐘の音を聞いて歴史を感じたい!

引用善光寺
善光寺は実はたくさんある?!
現在200以上の「善光寺」が各地にあります。
その理由は…。
鎌倉時代に「善光寺聖」が全国に善光寺信仰を広めたから、だそうです。
この方は正規の寺院を離れて諸国をまわる僧侶です。
善光寺聖が善光寺如来の分身を背負って信仰を広めたのです。
江戸時代には信州の善光寺から前立本尊が出張する「出開帳」が行われるようになりました。
(善光寺本堂で行われるのは7年に1度の「御開帳」です。)
こうやって善光寺は各地に広まったというわけです。
善光寺はいつ、誰が建てたの??
642年に「本田善光(よしみつ)」さんが建てたといわれます。
諸説ありですが…。
推古天皇の勅命で本田善光さんの自宅が新造されました。
本田善光さんはそれを自宅兼寺として「善光寺」と名付けたそうなのです。
天皇の勅命で家を作るなんてすごい人!!
その後火事や戦で何度も焼失、再建を繰り返しました。
善光寺にはすごい人たちがいらっしゃいました!!
1214年には親鸞聖人が参詣したという記録もあります。
1714年には7777枚の参道の敷石ができました。
2010年にはダライ・ラマ法王が来寺して世界平和のための法要をされました。
すごいお寺なんですね!!

善光寺の七名物は?!幻のものも!!
七名物その二*善海の田楽*罪を犯したある人が反省して仏門に入りました。「善海」と名乗って旅人にみそ田楽を作って提供したそうです。
七名物その三*雲切目薬*1543年、ポルトガル人から目薬の作り方を教わった人が販売しました。
七名物その四*練り膏薬*固形の外用薬ですが、残念ながら今はありません。
七名物その五*ろうそく*善光寺門前のお店だったそうですが、残念なことに今はありません。
七名物その六*鐘鋳(かない)川端のまんじゅう*鐘鋳川沿いにまんじゅう屋がたくさん並んでいました。今残るのは一軒だけになりました。
七名物その七*三国一の甘酒*麹と米だけで作られている素朴な甘酒です。日本・中国・インドの三国で一番、という意味だそうです。
「善光寺はなぜ有名?!牛にひかれて行ってみよう!信州小諸の町!!」のまとめ
- 「牛にひかれて善光寺」ということわざで有名
- 善光寺はパワースポットで有名①本堂は国宝 ②御朱印がたくさんある ③お戒壇巡りも有名 ④経蔵も有名
- 善光寺は7年に1度の「御開帳」が有名
- 善光寺前の仲見世も有名
- 善光寺の歴史はすごい
- 善光寺という名のお寺は全国にたくさんある
- 善光寺の御本尊は日本最古
- 善光寺には「七名物」がある
いかがでしたか?
御利益がたくさんある、歴史もすごい善光寺。
人がたくさん集まれば仲見世も流行る。
おいしいお店もたくさんあり、長野県の名産も手に入る、となれば行きたくなります。
宗教に関心が薄い人も困ったときは手を合わせる私たち日本人です。
春、少し暖かくなったら旅に出てみませんか?