広告

西沢裕司の刑務所はどこ?全日空61便ハイジャック事件の犯人の今

日本のハイジャック事件で、唯一、死者がでてしまった事件が、全日空61便のハイジャック事件になります。
凶悪な犯行を行った犯人は今どうしているのでしょう?

西沢裕司の刑務所はどこ?全日空61便ハイジャック事件の犯人の今

結論から言うと、千葉刑務所に服役中ということになります。

千葉刑務所というのは初犯を扱うことが多い刑務所になっているので、著名な受刑者や有名な事件の受刑者も多いことで知られています。

例えば

林郁夫 - オウム真理教幹部・無期懲役

スーパーフリー代表者- 懲役14年

といった方も収監されています。

西沢裕司に関して言うと、裁判では無期懲役となりましたので、当面釈放されることは無いと考えて良いでしょう。

 

西沢裕司の裁判以降の記録について

あまり、刑務所に収監された犯罪者の記録というのは表に出てくるものではありませんが、ある程度、即席がわかっている部分があるので、記載しました。

裁判では無期懲役が言い渡されていた西沢裕司ですが、その後ある事に不満を訴えて裁判所に訴える行動を取っていた事が報告されています。

また、西沢裕司は裁判後に外部との交流を取っていた事でも話題を集めていたようです。西沢裕司は現在どのようになっているのか、裁判後にどのような行動を取っていたなど詳しくご紹介していきます。

千葉刑務所長に勝訴する
西沢裕司は現在千葉刑務所に服役しています。実は西沢裕司は服役後に千葉刑務所の所長に手紙でのやり取りを禁止されていたそうで、禁止令を取り下げてもらうべく裁判所に提訴して告訴していたのです。西沢裕司曰く、外部との手紙のやり取りは更正の妨げになると言う事だったそうです。

凶悪犯の告訴など聞き入れられるものではないだろうと感じてしまいますが、なんと西沢裕司はこの訴えで勝訴しており手紙の禁止令は取り下げられたそうです。西沢裕司が手紙を出していた相手が気になりますが、なんと相手は家族や兄ではなく拘禁者支援団体と手紙をやり取りしていたそうです。

刑務所から異常な手紙を書く
西沢裕司の現在について調べていると、刑務所から異常な手紙を書いていた事が判明しました。手紙の送り主については明かされていませんが、異常な手紙内容をリークしたとなると家族や兄ではない人物なのではないかと推測されます。

西沢裕司が刑務所から出した異常な手紙の内容は、「鈴木亜美やモーニング娘。の新曲が流れてくれば生きててよかったと思う」「長期の刑期が予想されるなら、浦島太郎化しない心得がいる」など意味不明な内容ばかりです。

他にも様々な手紙の内容が公表されていますが、そのどれもが「大事件を起こしてしまった犯人が反省している」と感じさせられるような内容ではなく、「むしろ事件をなんとも思っていない凶悪犯」と感じさせられるような内容ばかりです。

2005年獄中で遺族に謝罪
ここまで見ると、西沢裕司は全く事件を反省していないようにも感じてしまいますが、実は無期懲役が決定した2005年に獄中から長島機長の家族である遺族に謝罪の手紙を送っていた事が分かっています。西沢裕司は長島機長の家族に対して謝罪するも、犯行動機については分からないと言った内容を綴っていたようです。

このような内容の手紙を送りつけられ、長島機長の家族は嬉しかったのでしょうか?長島機長の家族はコメントを発表していませんが、西沢裕司に対しての怒りが和らぐ事は無かったのではないかと感じさせられてしまいます。

遺族は国や全日空を相手に訴訟に

長島機長を失った親族の怒りや、悲しみは察するに余りあるところがありますが、

この事件、遺族の方は国や全日空を相手に訴訟に発展しています。

全日空ハイジャック事件、機長の遺族と和解成立
1999年7月の全日空機ハイジャック事件で殺害された長島直之機長(当時51)の遺族が、国や全日空などを相手に計約2億8000万円の損害賠償を求めた訴訟は、東京地裁で21日、和解が成立した。具体的な和解条件は原告、被告とも明らかにしていないが、全日空などが遺族側に和解金を支払うとともに、国などがハイジャックの再発防止策を引き続き講じていくことを誓約したとみられる。遺族は02年7月に提訴していた。和解を受けて長島さんの妻久実子さんは「夫の死を無駄にしないためにも、国や全日空などには、毎日大勢の人が行き交う空港や航空機関の安全が確実になるよう、誓約したことに責任を持って実行してほしい」とする談話を発表した。実行犯の西沢裕司受刑者(37)は無期懲役の判決が確定している。

「asahi.com」 2007年12月21日

長島機長の妻久実子さんの夫の死を無駄にしないためにもというのが、精一杯の思いなのかと思います。

事件の教訓は生き残った方によって伝えられています

全日空は今でも事件が起こった日には黙祷を捧げるようにしておりますし、生き残った乗組員の方も

事故の教訓が忘れられないように各地で公演活動を行っています。

関西外語大学での公演の記事となりますが

東京・羽田空港を離陸した直後に起きた全日空(ANA)機ハイジャック事件で、機長が刺殺され、まもなく機体が急降下し、高度300㍍の墜落寸前に操縦桿を確保し、間一髪で乗客約500人の命を救った〝奇跡の機長〟が6月13日、学研キャンパスの「国際交通論」の授業で特別講義。「一歩前へ勇気を持って踏み出せ」と出席した学生たちを励ました。

山内さんは1999年7月23日、包丁を持った男(当時28歳)にハイジャックされた羽田空港発新千歳空港(北海道)行きANA61便(ボーイング747型ジャンボ機)の客席に乗り合わせた。自身は新千歳から名古屋へのフライトのための移動だった。乗員は14人で、乗客は503人もいた。

61便は午前11時23分の離陸した2分後に、搭乗していた容疑者が包丁を客室乗務員に突きつけ、コックピット(操縦席)に行くように脅迫。すぐに副操縦士を追い出し、機長(当時51歳)だけを残し、立てこもった。

ジャンボ機は、房総半島から南の大島へ。機長は、男をなだめるように会話していたが、途中で刺され、出血のため機長席で死亡。ハイジャック犯は副操縦士の席で自ら操縦桿を握っていたが、迷走して、やがて東京・八王子上空で急降下。地上激突の警告音が鳴ったのを機に、山内さんは他の乗員とともにコックピットの扉に体当たりして突破。乗員らが犯人を押さえつける一方で、山内さんは長島機長の遺体の上にかぶさるように手を伸ばして操縦桿を引いて高度を上げ、住宅街への墜落を免れた。あと数秒遅れていたら大惨事という危機一髪だった。12時14分、羽田に緊急着陸して、他の乗客は無事だった。

山内さんは、この日の講義の中で、ハイジャック事件への言及は控えめにしながら、まず「『ありえない』なんて『ありえない』」として、物事を初めから決めてかからないように戒めた。

出典:関西外語大学

本当に、「ありえない」なんて「ありえない」ですよね。

幸いに日本ではこの事件の後、ハイジャック事件での死者の出るハイジャックは発生していません。

これも業界関係者の努力の賜物なのでしょう。これからも安全な空の旅を守って欲しいと心から思います。

マルチプル広告

© 2024 これちょっと気になる Powered by AFFINGER5