フジテレビの「土曜プレミアム・報道スクープSP 激動!世紀の大事件7」でも取り上げられた、2004年10月20日台風23号による航海練習船海王丸座礁事故。乗組員及び実習生167名という大変多くの航海士を目指す若者が被害にあったこの事件、被害者の皆さんの現在とその後についてまとめました。
関連記事
https://koreyokatta.net/kaioumaru-sekinin/
Contents
海王丸座礁事故の被害者(訓練生)について
海王丸はどういった方が乗る船なのか?
当時海王丸には、乗組員・実習生を含めた167名の方が乗船されていました。
海王丸は航海練習船と呼ばれ、現在は、独立行政法人海技教育機構がこれを練習船として運航し、東京海洋大学、神戸大学(海事科学部)、商船系高等専門学校、海技大学校、海上技術学校及び同短期大学校の学生、生徒に対する実習訓練を行うとともに、一般青少年を対象にした海洋教室、体験航海にも利用されています。
事件当時も、練習船として利用されており、多くの航海士を目指す若者が乗船していました。事件当時の乗船者名簿というものは、公開されておらず、実際にどなたが乗船されていたかの全体像を把握するのは極めて難しくなっています。
航海士を目指す若者以外にも3泊4日の体験航海に参加した社会人の研修生も乗っており、また、事件後の10月24日には事件が起きた伏木富山港と近くの、富山新港で一般公開も予定されていたため、事件発生時の判断に影響があったのではといった話も残されています。
海王丸座礁事故の被害者(訓練生)について
海王丸座礁事故は海上保安庁新潟航空基地所属のヘリコプターや海上保安庁の潜水士(今は海猿と呼ばれることもありますね。)の活躍により、167名全員が救助されています。
このため、誰が船に乗っていたのかという記録が多く残っておりません。
しかしながら、興味深い資料があります。
「2004年10月20日発行 帆船海王丸クラブ「紺青(こんじょう)
という財団法人船員教育振興協会というところが事務局をされ発行された冊子に
「海王丸は、10月1日より以下のメンバーで運行されています。」との記載があります。
座礁事故が発生したのは、2004年10月20日、冊子「紺青」の発行日も、2004年10月20日。なんと同日ではないですか!
メンバー表によると、下記の方が掲載されています。
ここに記載された方の多くは、事故当日乗船されており、実際に事故に遭遇されているはずです。お亡くなりになられた方が1名もいなかったというのは、本当に不幸中の幸いです。
海王丸座礁事故の被害者(訓練生)の現在について
海上保安庁の潜水士の方々や、ヘリコプターを使って遭難時に救助した方からすると、
この、海王丸の座礁事件は、活躍の場であったかもしれない。
しかしながら、救助された側、つまり海王丸の乗組員にとっては、事故を起こしてしまったという、どちらかと言うと忌まわしい記憶となっており、被害にあった皆様の現在についての記録は極めて乏しいと言っていいでしょう。
事故後に事故に関する記録に登場している方として、村松一等機関士がおられます。
日本財団の「台風による船舶海難を防げ」という冊子の中で取材に応じておられ、顔写真も掲載されています。
コメントとして、
- 村松一機士は言う。「経験したことのない状況で、実習生諸君も内心は死ぬかもし
れないという不安や恐怖心でいっぱいだったと思うが、彼らはそんな気持ちをおくび
にも出さず、パニックに陥ることなく行動したのです。その姿を見た乗組員のほうが
感動し、なんとしてもこの実習生らを助けなければと思うなど、逆に勇気づけられる
ほどでした。- また、一航士が甲板からずぶ濡れで戻った時も、実習生たちは一航士の周りに集ま
り、『チョッサー、チョッサー!』と一斉に声をかけ、彼が無線室に入った後は、仲
間の携帯電話をかき集め、一航士が外部と連絡するのを自ら補佐したのです」と実習
生らの行動ぶりに舌を巻く。
という言葉を事故後に残されています。乗組員の方だけでなく、救助した側の記録も、かなり詳細に記載があり、日本財団の上記資料は大変参考になるものと言って良いでしょう。
最近になり、事故の記録がテレビで放映されるといったこともあり、少しづつ、当時の記録と同時に、被害にあった方々の現在が報じられてくるようになっているが、事件から15年以上が経過し、海王丸から離れておられる方も多くなっていることが想像され、そっとしておいてあげるが良いのではないかといった気もしています。
海王丸座礁事故の被害者(訓練生)の事件後について
車の交通事故を起こした場合も賠償をどのように行うかといった、いわいる事故後の処理というのがありますが、海難事件の場合は、海難審判庁というところが、いわゆる裁判を行っていて、海王丸座礁事件についても、船長以下の責任が厳しく追求されています。
海王丸船長の責任問題等について
海難審判上は、「平成17年横審第36号練習船海王丸乗揚事件」といささか厳しい名前で取り扱われております。
- 主文:本件乗揚は,台風が接近する状況下,水路事情の把握が不十分であったばかりか,風浪の影響に対する配慮が不十分で,適切な避難措置をとらず,強い風浪の中で錨泊を続けて走錨し,陸岸に圧流されたことによって発生したものである。
- C所が,海王丸に対する支援体制が不十分であったことは,本件発生の原因となる。
受審人Aの一級海技士(航海)の業務を2箇月停止する。
当時、船長であった、池田重樹船長は、海王丸の船長に成り立て。
そこに襲ってきた台風と、不幸、不運もあったと思われるが、責任は誰かが取らなくてはならない。
インターネット上には
- 海難審判で船長は2ヶ月の業務停止となりました。
- 自動車の免停と違って、この業務停止は免許取り消しのような社会的制裁に相当すると考えていいかもしれません。
- 私の父親は航海訓練所所属の乗組員(当時乗っていたのは海王丸ではなかった)で、この船長とも親しい間柄です。
- 父親から詳しい話を聞いたわけではありませんが、事故に関して船長や一等航海士が強く避難されていますが、船長の言いぶんを聞いてると悔しささえ覚えると語っていました。
といったコメントも寄せられており、全ての責任を船長に負わせるというのは、いささか酷ではないかといった意見もあります。
いずれにしても、この事故の教訓が、今後の海難事故防止の一助になってもらえることを切に願います。
コメント