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クリスティ・マーチン選手の経歴プロフィール【18年間夫に脅迫され続けた世界王者】

ボクシングというとどうしても男性の殴り合いのイメージがありますが、女子プロボクシングというのも世の中にはあって、その中でも世界王者、つまり世界チャンピオンなんていうと、もう、只者では有りません。でも、世界王者なのに18年間夫に脅迫され続けたというのはどういうことなのでしょうか。

クリスティ・マーチン選手の経歴プロフィール

1968年6月12日 アメリカ、フロリダ州オーランドの生まれ、「アメリカでもっとも成功し有名な女性ボクサー」として知られています。

随分昔の動画になりますが、あるところにはあるものです。WBC世界女子ライト級タイトルマッチの動画です。

なかなかどうして、軽やかな動きです。

 

1989年9月9日に21歳でプロデビューを果たす。

その美貌から注目を集め、マイク・タイソンらの世界タイトルマッチの前座を務めることもありました。

なんと、日本でもWOWOWで放送されることもありました。アメリカ女子ボクシング界のパイオニアとして活躍してきました。

クリスティ・マーチン選手の主な戦績

  • 1989年11月4日、4戦目で初黒星を喫するが、翌年にダイレクトリマッチで勝利を挙げる。
  • 1997年12月5日のマルセラ・アクーニャのデビュー戦の相手を務め、大差判定で退けた。
  • 2002年12月6日、ミア・セント・ジョンと対戦。大差判定で勝利。
  • 2003年8月23日、自身初の世界タイトル挑戦としてレイラ・アリと対戦。しかし4RKOで敗退。2年近くのブランクを作る。
  • 2005年9月16日、ホリー・ホルムと対戦も、ジャッジ2人がフルマークを付けた大差判定で敗れる。
  • 2008年7月18日、ヴァレリー・マーフードとNABF女子ミドル級王座決定戦を戦うがドロー。

女子ボクシング界を長きに渡り引っ張ってきたものの、タイトルには縁がなかった。

  • 2009年9月2日にダコタ・ストーンとのWBC女子スーパーウェルター級王座決定戦で2-0判定勝利を収め、キャリア20年で念願の王座を獲得した。

世界チャンピオンになるまでには、随分、苦労されたようです。

  • 2011年6月4日、2年近くのブランクのあと、ダコタ・ストーンとダイレクトリマッチを行うが6回TKOで敗れる。
  • 2012年8月14日、1年以上のブランクのあと、ミア・セント・ジョンと対戦するが10回判定負け。試合後、両選手共にボクシングから引退することを発表した。

同時期に活躍したライバル・ルシア・ライカからは何度も対戦を申し込まれ、スーパーファイトとして実現が期待されたが、マーチン側が拒否した。

  • 2018年、アメリカ合衆国ボクシングライター・アソシエーションがマーチンの名前を冠したクリスティ・マーチン賞(年間最優秀女子ボクサー賞)を設立した。

夫のジム・マーチンによる殺人未遂事件

かなり衝撃的な事件ですが、夫がトレーナーを務めていたジム・マーチン。

ことの発端は、2010年11月23日、クリスティ選手が、自分はレズビアンでありパートナーの女性と暮らしていきたいと告白したところ、

夫のジム・マーチンが逆上しクリスティ選手ををナイフで数回刺し拳銃で銃撃するという痛ましい事件となってしまいました。

クリスティは瀕死となりながらも通りかかった車に助けを求め病院に運ばれ一命は取り留めました。流石はボクサー、体力も相当あったと

考えていいでしょう。

後になってから、クリスティ選手はインタビューで、夫のジム・マーチンには、結婚する前からレズビアンでありその女性パートナーと

付き合っていることを告げていたが、レズビアンであることを公表すれば、ボクシング界から追放され、家族もバッシングされるだろうと

20年間以上脅され公表することが出来なかったと話している。

こうなると、なんで、結婚したんだろう?という気もしますが、そういう時代だったのかも知れませんね。

 

ちなみに、夫の、ジム・マーチンは、殺人未遂の罪で、懲役25年の有罪判決がくだされています。まだまだ、服役中でしょう。

クリスティ・マーチン選手の経歴プロフィールについてのまとめ

どんなスポーツでもそうですが、世界一になるなんていうのは、生半可なことではないでしょう。

クリスティ・マーチン選手、もう、随分前に現役は引退されているわけですが、今後の人生は、スポーツに貢献いただきながらも

幸せになってもらいたいものですね。

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