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ハクビシンが日本に来た理由は時代によって違う?!迷惑害獣の由来

都会でも見かける野生動物、タヌキ、アライグマ、ハクビシン。この内タヌキは日本の在来種ですが、アライグマとハクビシンは外来種の動物です。

アライグマは某アニメで人気を博し、ペットとして持ち込まれたものの、ペットには向いていなかった為、捨てられた個体が日本に土着して、増えてしまったのは有名です。

では、ハクビシンはいつ頃、何の目的で日本に持ち込まれたのでしょうか?この疑問を今回は調べてみました。

 

ハクビシンが日本に来た理由

引用 鳥獣害対策の知恵袋

近代のハクビシンは、毛皮を利用するために、日本に持ち込まれたと言われています。

毛皮の為に養殖されていた、タヌキと一緒に「南京タヌキ」という名前で、ハクビシンも養殖されていました。

タヌキという名が付いてましたが、ハクビシンはジャコウネコ科の動物で、タヌキとは違います。

毛皮の養殖のために持ち込まれたのは、昭和2年に台湾から持ち込まれた。という説があります。

しかし、もっと古くは、国立環境研究所のデータには、江戸時代にも持ち込まれたと、記録があります。

 

毛皮としてのハクビシン

毛皮と聞くと、ミンク、フォックス、羊、ウサギ、テン等が思い浮かびます。

ハクビシンのショールやコート、というのは聞いた事がありません。ハクビシンの毛皮は品質が悪かったそうです。そこで、ハクビシンの養殖はやめられました。

では、養殖されてたハクビシンは、どうなったのでしょう?処分した業者もいれば、裏山へ放した業者もいたそうです。

この放されたハクビシンが、現在農産物を荒らしたり、都会でゴミを漁ったりして、問題になっているハクビシンの祖先だろう、と推測されます。

 

 

日本で毛皮は何のために必要だったのか

明治時代以前の、日本人の服装を思い浮かべてみて下さい。毛皮を使った服は、あまり出て来ないのではないでしょうか。

せいぜい鎧兜の部品、御殿様が、鷹狩りに行く時の服か、武器の部品として使われていた。

平民は革の小物を使っていましたが、ファッションに使っていたイメージは薄いです。

 

外貨獲得の為に毛皮産業が発達

欧米では、昔から毛皮や革は、権威の象徴として使われてきました。近代化が進むと、ファッションに、また防寒着にと、毛皮が盛んに利用されていました。

しかし欧米では、乱獲により、野生動物の毛皮は貴重品となってしまいました。

そこで、欧米が目を付けたのが、日本の毛皮でした。特にカワウソの毛皮は高級品として珍重されました。明治時代には外貨獲得の1つとして、毛皮の輸出を奨励しました。

この頃の日本の毛皮は、野生動物を捕獲して得た天然の毛皮を輸出していました。これが、乱獲へと繋がります。

 

宮沢賢治作「銀河鉄道の夜」に出てくるラッコの上着

1934年に刊行された、宮沢賢治の有名な作品「銀河鉄道の夜」に『ラッコの上着』というキーワードがでてきます。

主人公ジョバンニの父親は、北方へ漁に出かけ、長く帰っていないと思われます。そんなジョバンニに同級生達が「ラッコの上着が来るよ」とはやし立てます。

ラッコ猟は1912年に禁止令が出ています。銀河鉄道の夜がいつを設定して書かれたは、分かりません。

もし、1912年以前の設定であるのならば、ラッコ猟に行って、長い間帰って来ない事。
或いはラッコ猟に行くという言い訳で、何か非道徳的なことをしていると、からかっているのでしょう。

しかしラッコ猟禁止令後、という設定であれば密猟をしている、つまり犯罪者であると、ほのめかしている、ということになります。

童話からも、日本の毛皮産業が垣間見えます。

 

毛皮産業・野生動物から飼育動物へ

野生動物も獲り過ぎると、減っていくのは当たり前。日本カワウソや日本近海のラッコは乱獲で絶滅。その一方で、戦争のため毛皮の需要は拡大していきました。

大正15年には銀狐の養殖が始まりました。また、農家や、林業、漁業に携わる人々が副業にウサギを飼育して、売るようにもなりました。

そうして次々に、毛皮の養殖が増えていきました。

 

 

戦争での日本の毛皮の需要

日露戦争では、ロシアという寒い所で戦争するため、毛皮は軍需品となりました。

特に家ウサギは、毛皮は軍服に、肉は缶詰めにされて食糧になりました。この頃から養兎業が始まりました。毛皮産業はますます、活気が出ました。

 

みんなで兎を飼いませう

引用 jacar

上の写真を見ると昭和19年の、少女倶楽部の雑誌に「みんなで兎を飼ひませう」と言うタイトルで、ウサギの毛皮が兵隊の軍服に利用される説明が書かれています。

私の父も、戦時中にウサギを飼っていたと、言っていました。

小学校で、ウサギを飼っている所が多いのは、戦争中の名残りとも言われています。

 

ペットまで毛皮の材料に?

太平洋戦争中は、野犬も狩られて毛皮に使われました。戦争末期になると、ペットに食糧をやるのはもったいない、と言うことと毛皮不足を理由に、ペットの犬や猫まで供出させられました。

ペットを供出した、飼い主の心中はいかばかりであったでしょう。胸が締め付けられます。

資料 旧日本軍 大日本帝国 防寒コート
 引用 
aucfan

このコートを見ると、色々な動物の毛皮が、ツギハギされているのが分かります。もしかしたら犬の毛皮も混ざっているかも知れません。

 

 

ハクビシンの渡来時期の謎

引用 tenki.jp

ハクビシンが日本に来た記録は、わずかにしか残っていません。

ハクビシンが日本に持ち込まれた記録とされているのは、江戸後期の1833年、オランダ船が長崎出島に、多数の外国産動物を持ち込んだ目録のようなもの(唐蘭船持渡鳥獣之図)中に、ハクビシンと特徴が似ている動物があるという事です。

しかし、それ以前にも古くは鎌倉時代に、権力者達が貿易で、珍しい動物を集める事が流行した時があり、その時に持ち込まれた可能性もあります。

そして、逃げ出したハクビシンが、ヒッソリと暮らしていた可能性も、否定できません。

 

古代の文献に散見する「妖怪・雷獣」はハクビシン?

雷獣の絵  引用 べとべとさんの軍団生活

妖怪・雷獣は今ではあまり有名ではありませんが、日本の各地に雷獣に関する文献が残っています。

雷獣とは、空の上に住んている妖怪で、カミナリと共に現れると言われていました。時にはカミナリと共に地上に落ちてきて、木を引き裂き人に害をなすとも言われています。

落ちて来た雷獣は、穴の中に住み、雷雲が近づくと乗り移れる雲を探しに出て来て、雷雲に乗り移ると言われています。

 

雷獣の目撃情報とその特徴からハクビシンの疑いが!

竹原春泉画「カミナリ」の題で描かれた雷獣
引用 wikipedia

雷獣という生き物、或いは妖怪に関する文献を見ると、興味深い容姿をしています。

雷獣の外見的特徴をごく簡単にまとめると、体長二尺前後(約六十センチメートル)の仔犬、またはタヌキに似て、尾が七、八寸(約二十一から二十四センチメートル)、鋭い爪を有する動物といわれる

引用 べとべとさんの軍団生活

 

天保時代の地誌「駿国雑誌」によれば、駿河国益頭郡花沢村高草山(現・静岡県藤枝市)に住んでいた雷獣は、全長二尺(約六十センチメートル)あまりで、イタチに類するものとされ、ネコのようでもあったという。全身に薄赤く黒味がかった体毛が乱生し、髪は薄黒に栗色の毛が交じり、真黒の班があって長く、眼は円形で、耳は小さくネズミに似ており、指は前足に四本、後足に一本ずつあって水かきもあり、爪は鋭く内側に曲がり、尾はかなり長かったという

引用 Blog鬼火〜日々の迷走

 

江戸時代の辞書「和訓栞」に記述のある信州(現・長野県)の雷獣は灰色の子犬のような獣で、頭が長く、キツネより太い尾とワシのように鋭い爪を持っていた

引用 怖い話投稿サイト

これらの雷獣の特徴を見ると、もしかしたらハクビシン?と考えてしまいます。ハクビシンの中には特徴の、顔の白い筋がない個体もいるそうです。

そんな文献から、木の上にいたハクビシンが、雷に驚いて落ちたのを見て、人々が「雷から落ちてきた、見たことの無い奇妙な獣」→伝説の妖怪・雷獣だと勘違いしたのでは?という説もあります。

木に登るハクビシン  引用 tenki.jp

 

江戸時代の見世物小屋にハクビシン?ぶんぶく茶釜タヌキの綱渡り

引用 wikipedia

見世物小屋とは、今で言うと、サーカス、動物園、美術館を兼ね備えたようなもので、娯楽の少ない江戸時代では、大変人気があったそうです。

動物の見世物では象やラクダ等、珍しい動物が見られたそうで、ハクビシンが雷獣として展示されてたのでは?という説もあります。

このような見世物から物語が出来たのか、昔話の「ぶんぶく茶釜」では、茶釜に化けたタヌキが綱渡りを披露します。

しかし、タヌキは綱渡りは出来ません。一方ハクビシンは高い木の上や、電線を器用に渡る姿が目撃されていることから、タヌキの綱渡りと言われたのは、タヌキに似ているハクビシンだったのではないか、という説もあります。

 

 

ハクビシンが在来種か外来種か論争があった

昔のハクビシンに関する情報が、とても少なかった事と、雷獣がハクビシンではないか、という説があったため、ハクビシンが在来種と考えられていた時もありました。

 

ハクビシンの日本での分布

ハクビシンの分布図 引用 環境省生物多様センター

ハクビシンの住んでいる地域には連続性が見られません。また、日本ではジャコウ猫科の化石が発見されていません。

そして一時期、毛皮の為に養殖されていたという事実があり、近年までは在来種なのか、外来種なのか、はっきりしていませんでした。

 

日本のハクビシンはDNA鑑定で台湾由来と判明

近年の研究で、日本本州と四国で捕獲されたハクビシンと、台湾のハクビシンの、ミトコンドリアDNAを解析しました。

結果は、東日本のハクビシンは、台湾西部のハクビシンが起源であると、西日本のハクビシンは、台湾東部のハクビシンが起源であると判明しました。

しかし、ハクビシンが明治時代以前から生息していたのか、そうでないのかが、明らかになっていない為、政府は外来種であると断定しきれていません。

 

ハクビシンを勝手に捕まえてはいけない?

引用 goo.blog

ハクビシンは、鳥獣保護法では狩猟獣に指定されています。しかし捕獲するには、狩猟免許が必要になります。

ハクビシンを捕獲するには、狩猟免許を取得するか、狩猟免許を持つ業者に捕獲を依頼しなければなりません。

 

 

ハクビシンが日本に来た理由は時代によって違う?!迷惑害獣の由来まとめ

まとめ

  • 明治時代に外貨獲得と戦争の影響で毛皮産業は盛んになった。
  • 近代では、ハクビシンは毛皮目的に海外から入って来た。
  • ハクビシンの毛皮は品質が悪く使えなかった。
  • ハクビシンの養殖をやめて、生きたまま放した業者がいた。
  • 鎌倉時代には、権力者が珍しい動物を貿易で集めていた。
  • 雷獣の正体はハクビシンだったという説がある。
  • 江戸時代にはハクビシンは見世物にされていた?
  • 現在の日本のハクビシンはDNA鑑定の結果、台湾由来のものだと分かった。

ハクビシンは毛皮の為に連れて来られたのに、使えない動物でした。役に立たなかった割に、害獣としての被害は多大なものがあります。

ハクビシンはアジアから東南アジアに広く分布しています。近年の温暖化から、越冬しやすくなったのも、日本で増えた原因かも知れません。

 

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