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アメ横の由来は2つある!?明日誰かに言いたくなる雑学をご紹介!

皆さんは上野にある「アメ横」の由来を知っていますか?

以前、朝のニュース番組で林修先生が解説していたので、知っている人もいると思います。

実は、アメ横の由来は2つあるといわれています。

この記事では、アメ横の由来について、詳しくご紹介していきます。

 

アメ横ってなに?闇市の名残がある商店街

アメ横とは、JR山手線の上野駅から御徒町駅の間の約500メートルにわたって連なる商店街のことです。

約400店が出店しています。

食品や雑貨、衣料などを取り扱うお店が多く、さまざまなジャンルのお店が所狭しと並んでいます。

日本では珍しく、商品の値段交渉ができたりするので、良い商品をお得に手に入れられる場所でもあります。

 

アメ横はもともと闇市だった

引用 朝日新聞デジタル

アメ横が出来たのは終戦直後で、もともとは闇市として発展していました。

終戦後、政府からの配給では生きていけない人々が、軍からの横流し品や近郊農村からの買い出しで持ち込んだ食料を持ち寄って、闇市を始めました。

東京都内では、アメ横のある上野以外に新宿や池袋、有楽町などで闇市ができていたと言われています。

これらの闇市は的屋(てきや)と呼ばれる暴力団のような人たちによって仕切られていました。

 

しかし、アメ横は満州からの復員兵やシベリアからの引き揚げ者が約400人集まって出来たものです。

アメ横が出来てすぐに協同組合を結成して、出店を統制していました。

そのため、的屋が仕切っていた他の闇市と違って、結束力が強かったそうです。

 

確かに、アメ横の雰囲気は教科書で見た闇市に少し似ているかもしれません。

アメ横に行くと「こんなに賑やかな闇市があるのか」と思いますよね。

闇市だったころのアメ横は、警察官の見回りがない毎朝4時から7時まで開かれていて、変電所があった空き地を利用していたそうです。

本当にひっそり、闇の中で商売をしていました。

 

アメ横の名前の由来はたくさんの飴屋さん!?

それでは、アメ横の由来についてご紹介します。

アメ横の由来の一つは「飴屋さん」からきているといわれています。

アメ横は昔、「アメヤ横丁」と呼ばれていました。

なぜ、「アメヤ横丁」と呼ばれていたのかというと、アメ横が飴屋さんばかりだったからです。

昭和22年の戦後まもなく、食糧難で政府が砂糖を統制していたため、甘いものが貴重な時期がありました。

その中で、アメ横では年間を通して甘いものを売ろうということになり、

茨城からサツマイモを原料とした芋飴を仕入れたり、上海からサッカリンやズルチンといった人工甘味料を仕入れて飴菓子を作って売るようになりました。

すると、この芋飴や飴菓子が大ヒット!

この大ヒットに便乗しようと、アメ横に出店しているお店が次々と飴を売り出すようになりました。

そうして、アメ横一帯が飴屋さんばかりになったため、「アメヤ(飴屋)横丁」と呼ばれるようになったのです。

アメ横の飴はたちまち評判となり、連日飴の買い出しの人たちで賑わいました。

 

また、上野駅は東北本線のターミナル駅だったため、東北からの行商も盛んでした。

東北から一斗缶に野菜などを入れてきた行商人が東京でその商品を売り、一斗缶が空になると上野のアメ横で缶がいっぱいになるまで飴を買います。

そして、それを東北に持って帰って3倍から4倍の値段で売っていたそうです。

行商の帰り道で次の商売の仕入れができるため、東北の人たちにとっては非常に効率のいい行商だったそうです。

この東北からの行商もアメ横の飴が大ヒットした要因の一つといえます。

 

現在のアメ横にアメヤ横丁だったときの名残が!

なんと、現在のアメ横にアメヤ横丁だったときの名残があります。

アメ横には合計4つのアーチ型の看板が設置されています。

御徒町駅から上野駅にある3つの看板(左の写真)には「アメ横」と書かれていますが、

一番上野駅に近いの4つ目の看板(右の写真)には「アメヤ横丁」と書かれています。

 

引用 上野のグルメ&観光情報をナビゲーション | 上野なび散歩ブログ

アメ横の歴史を語り継ぐために、あえて残しているのだそうです。

 

なぜ、上野駅に一番近い看板だけ残しているのかというと、アメ横の中でも上野駅側に一番飴屋さんが多かったからです。

先ほどご説明したように、東北からの行商などの上野駅を利用するお客さんをターゲットにしていたことが、この看板からも分かりますね。

 

今度アメ横に行ったときには、ぜひ看板にも目を向けてみてください。

 

アメ横の由来にはアメリカも関わっていた!

アメ横の由来の二つ目は「アメリカ」です。

アメ横にあるお店にジーンズや革ジャンなどの舶来品を売るお店が多いことが由来だと思われている人もいますが、少し違うようです。

 

アメ横が飴を売り始めてから3年くらい経ったあと、朝鮮戦争が勃発し、アメリカ軍が日本に駐在するようになりました。

そして、駐在しているアメリカ兵から大量の物資がアメ横に横流しされるようになります。

その横流し品を取り扱うお店がアメ横に増えたため、「アメヤ横丁」ではなく「アメリカ横丁」と呼ばれるようになりました。

当時はレイバンのサングラスやハーシーのチョコレートなどが人気だったそうです。

アメリカ軍の横流し品を売っていたのはアメ横だけだったと言われています。

そのこともアメ横がアメリカ横丁と呼ばれるようになった由来といえます。

 

現在でもアメ横には外国製の商品を扱うお店が多いですよね。

これは、朝鮮戦争が終わり、アメリカ軍の横流し品を扱っていたお店が直接海外へ買い付けたり、輸入したりするようになったからです。

そのため、今でも外国製の商品を扱うお店が多いのです。

 

アメ横の由来は2つある!?誰かに言いたくなる雑学をご紹介します!のまとめ

  • アメ横とは、JR山手線の上野駅から御徒町駅の間の約500メートルにわたって連なる商店街のこと
  • アメ横はもともと闇市だった
  • アメ横の由来の一つは「飴屋さん」からきている
  • アメ横の由来の二つ目は「アメリカ」からきている

現在ではアメ横は東京を代表する観光名所の一つです。

しかし、アメ横の由来を紐解いてみると、闇市や朝鮮戦争など、戦後の激動の時代を力強く生き抜いていることがわかると思います。

アメ横で買い物を楽しむのもいいですが、アメ横の歴史に思いをはせてみると

また違った雰囲気を楽しむことができるかもしれません。

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