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小林三郎ANA函館行きハイジャック犯人への処分、その後はどうなった?

1995年6月、羽田空港発函館空港行きのANA857便が、山形の上空で中年の男1人にハイジャックされた。 男は「尊師のため」と話し、この当時地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教との関連をにおわせ、日本列島は恐怖に震えることになった。どのように事件は解決されたのか?



ANA函館行きハイジャック犯人への処分について

犯人小林三郎は精神疾患で休職中の東洋信託銀行(後のUFJ信託銀行、現・三菱UFJ信託銀行)行員(当時53歳)であり、オウムとは無関係であった。

また、所持していると主張したプラスチック爆弾が粘土で作った偽物であり、サリンと思われていたビニール袋の中身もただの水であった事が判明した。

  • 1995年6月23日 犯人は逮捕の翌日(1995年6月23日)付で東洋信託銀行を懲戒解雇
  • 1995年7月12日 函館地方検察庁に「責任能力あり」と判断され起訴された。
  • 1997年3月21日 函館地方裁判所は犯人に対し、懲役8年の判決を言い渡した。検察側・弁護側双方が札幌高等裁判所へ控訴し
  • 1999年9月30日 控訴審で札幌高裁は1審判決(懲役8年)を破棄し、犯人に懲役10年の判決を言い渡した。その後、最高裁判所への上告は行われず、判決が確定した。




ANA函館行きハイジャック犯人のその後

なお、犯人は全日空から民事訴訟を起こされ、請求額通り5300万円の損害賠償が命じられた。支払いが実際に行われたかについては不明である。とても5300万円もの賠償能力がルトは思えないというのが正直なところ。

「函館ハイジャック事件」事件の概要

全日空857便ハイジャック事件は、
1995年6月21日に函館空港で全日本空輸857便(ボーイング747SR-100型機、機体番号 JA8146、以下「当該機」)が占拠された事件である。

「函館ハイジャック事件」とも言われる。日本で初めて強行突入が実施されたハイジャック事件である。

突入は北海道警察機動隊が行ったが、警視庁の特殊部隊SAP(Special Armed Policeの略称。現在のSAT)も支援した。

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